
この本を希望したのは母であった。娘は気がのらなかったが、刊行から幾年か経っても母の気が変わらなかったので、意を決して図書館へ。ただ借りても面白くないので、倉橋由美子の『大人のための残酷童話』と共に運んできて、並べた画を眺め、一人満足したのだった。―了―
というだけでは味気ないので、一旦、目を通してみた。
子供の頃読んだ童話が既にして、真っ赤に焼けた鉄の靴で躍らせたり、家族の肉入りスープを食べさせたりする話であった。その冷酷無慈悲さたるや、本書の比ではなかったと記憶している。童話の恐ろしさには、目新しさはない。また、はっきり言えば本書はレディースコミック風の読み物なのだけども、中身は大人向けでも、文章はむかし読んだ版よりかえって幼い調子だ。おどろおどろしい雰囲気はないのである。
では、何が本当に恐ろしいのか?
童話は無慈悲だ”というだけでは”もはや動じない、オトナゴコロの恐ろしさを再認識させられた。時がもたらす変化は、なるほど怖いくらいだ。
それから、コドモゴコロの恐ろしさもふりかえってみたのだった。子供時代こそ、グロテスクでナンセンスなものを強烈に求めていた。タブーの存在自体に反応する奇妙な熱情に、幼少期の残酷さがあった。コドモゴコロとはかわいさだけでは語れない、容赦を知らぬ恐ろしいものだった。そこを大人も承知の上で、見せるには早すぎる箇所を省き、書きかえながらも、怪奇とミステリを多数児童書として取り揃えておくのではないか。
その時省かれるのは、血生臭く惨たらしい箇所と共に、エロティシズムもある。『本当に恐ろしいグリム童話』は、エロティシズムの回帰をはかりながら再構成したグリム童話らしい。エロスとエロは違う。どちらも需要があることと思う。これは一文字足りない方だった。
『シンデレラ』のみ、従来のヒロイン像から離れて異彩を放つ、読むところのある小品かも。