
この映画について、このタイミングで書くことになろうとは思いもしなかった。今(2011年3月)、テレビもラジオも災害情報を報じ続け、水害の映像が胸を痛ませている。ためらう気持ちもあるが、こんな時だからこそ、水が印象的に登場する傑作として、『エレニの旅』を挙げることから、逃げずにいたい。
決して映画の中身が幸せなものでなくとも、アンゲロプロス作品と出会えたのは圧倒的な幸福だった。何作か観た。どれもが素晴らしかった。空も草も静かに青ざめ、土は冷たく湿っている、その「色味のない色遣い」で映るものの全てを、凍えるような思いで観ながらも魅了された。ある一人のギリシャ人女性が水のように生を流れ続ける『エレニの旅』も、印象深かった。
当時のギリシャ人の生は政情と切り離すことが不可能で、エレニさんもごく平凡な女性らしいが、平凡ということが激動の内側にある。どこかに落ち着くことなく、エレニは旅しなければならない。彼女を押し流す力がある。映画全体を浸し、村を沈めてしまう、「水」のような力――
エレニを押し流す「水」は、赦さない。一つの場所に留まることや、根づくこと、愛するひとと共にあること、つまりは人として当たり前の願いを、あたかも罪悪であるかのように。それは悲劇には違いないが、彼女を打ちのめす「水」の厳しさを延々と撮ったその映像は、絵画的な美をたたえ、どこか気高ささえ感じさせる。「かわいそう」「痛ましい」というお安いクローズアップで解決をはからず、エレニは流れに流れてゆく。
生きることに、着地点なんてない。そのことに対し、余計な解説もいらないのだろう。生は、自分の意思で思い通りに運ぶわけではない。さまざまなことが起きる。説明はつかない。水とともに流れるしかないのではないか。
楽しい話ではないので、この映画を観たことをずっと重苦しく感じていたが、今は奇妙にすっきりしている。